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東京デスロック『Peace (at any cost?)』


『Peace ( at any cost? )』を観る

演出 多田淳之介 『Peace (at any cost?)』

文・西村賀子


東京デスロックPeace ( at any cost? )』撮影 井上 嘉和

 多田淳之介・演出、東京デスロックによる『Peace ( at any cost? )』は、演劇とは何かとあらためて考えさせる劇だった。
 京都公演初日の2015年8月21日夕刻、会場のアトリエ劇研に入る。整然と並ぶ椅子席の前に一段と高い舞台という通常の劇場のしつらえとは違い、観客と舞台の間には段差がない。靴を脱いで床にそのまま座るというスタイルは久しく忘れていた身体のありようだ。ここにすでに非日常が顕在化しているように思われる。客席と舞台を区切るのは一本のロープだけ。ロープの向こう側には、私の眼には古代ギリシアの鎧や楯のように見えるものが雑然と置かれている。戦争を象徴するものだろうか? それらは実際には、マットやマットの切れ端、布と折り鶴だったと、後から伺った。
 客席の中央には、平和を象徴する白い鳩の剥製らしきものが、1メートルほどの高さのやはり真っ白な柱状のものの上に置かれている。天井に吊るされたミラーボールがきらきらと回り、舞台正面には客席のようすがライブで写し出されていて、いやでも自分の姿が目に入る。気恥ずかしさに身をすくめながらも、今日の芝居はどんな劇だろう、と期待がふくらむ。
『Peace ( at any cost? )』は、紀元前5世紀のギリシアの喜劇詩人アリストパネスの『アカルナイの人々』に刺激を受けた作品だと聞いていた。『アカルナイの人々』はペロポンネソス戦争のさなかに書かれた喜劇だが、アテナイ(現在のアテネ)はこの戦争に突入することによって、それまで謳歌していた繁栄から没落へと転がり落ちていったのだった。この喜劇では主人公は敵国と個人的に和平条約を結ぶ。そして、それによって自分の一家だけが平和を享受してその恩恵を独占するという荒唐無稽な展開を示す。古代ギリシアの喜劇には時事問題への言及や言葉遊びが非常に多いため、註釈がなければ理解できない。だがちょっと我慢しながら『アカルナイの人々』(「ギリシア喜劇全集1」岩波書店)を読んでみると、戦争はもうたくさんだ、やめてくれという作者の真摯な思いがひしひしと伝わってくる。同時に、洒落あり、ギャグあり、無意味だが辛辣なジョークあり、下ネタ満載で、この劇を実際に観て注釈なしで腹をかかえて笑うことができたらどんなによかっただろうと、前5世紀のアテナイに男子市民として生まれなかったことが残念に思われるほど、秀逸な劇である。



1945年の敗戦から70年が経った節目の今年、一か月余り前に安全保障関連法案いわゆる安保法案が衆院本会議で可決されたという状況のなかでそんな古代喜劇をいったいどのように翻案し、どんなメッセージを響かせる劇なのだろうか。
 劇の冒頭、一人の俳優が登場してスコアホルダーのようなものを見ながら朗読し始めた。ああ、憲法の前文だ、と思う。リーディングというスタイルは、この劇の序だけではなく、その後も反復的に採用され、俳優が一人ずつ次々に舞台に登場して、テクストを淡々と読みあげていく。劇中で使われた「日本国憲法前文」以外のテクストを、観劇後に配布されたパンフレットに基づいて次に挙げる。
 阪神大震災でわが子を失った母親の手記、谷川俊太郎の「平和」、小泉純一郎元首相による記者会見冒頭発言「イラク問題に関する対応について」、三島由紀夫の「檄文」演説、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」、浜井信三による「1947年 広島平和宣言」、茨木のり子の「はじめての町」、寺山修司の「かなしくなったときは」、峠三平の「序」、宮尾節子の「明日戦争が始まる」、谷川俊太郎の「殺す」、茨木のり子の「自分の感性くらい」、芳谷玲子の「見上げる」、マララ・ユスフザイによるノーベル平和賞受賞スピーチ、谷川俊太郎の「朝」、谷川俊太郎「一行」、翁長雄志沖縄県知事による「2015年 沖縄平和宣言」、紅子 奥田愛基の「SEALDs デモスピーチ」。




 聞いたことのある言葉、初めて聞く言葉、反感を持って聞いた言葉、共感を持って読んだ言葉。ほとんどが文字で読んだ、あるいは読んだことのない言葉だが、俳優の身体と声を通して耳にする音としての言葉は、鮮烈だ。
 テクスト・リーディングのコラージュに終始するかと思いきや、能面をつけた女優が客席と舞台を隔てていたロープを取り外すと、朗読した三人の男優と五人の女優が客席に進み出て観客に立ち混じって坐し、その場でそれぞれに声をあげる。彼らはそれぞれの立場から、「〇〇のために平和を守れ」というシュプレヒコールを発する。そして最後には、俳優全員が同時に「平和を守れ」と発声する。この場面は圧巻である。もちろん、調和のとれたユニゾンではない。耳に響くこの不協和音は、平和を守るために戦争するという立場や、平和を守るために声をあげる、あるいは沈黙する立場など、いろいろな人々のさまざまな思いが非戦へと、平和の実現へと収斂することのむずかしさを感じさせる。









それにしても、ドラマとは何だろう。劇が終わったあと、そんな問いが沸々とわきあがってきた。筆者のなかには、ドラマというのは登場人物たちの言葉や行為のやり取りによって成り立つという既成観念的な暗黙の了解があった。しかしおそらく、そんな演劇観はもう時代遅れなのだろう。近年連続的に観ているある女優の一人芝居もリーディング劇である。だが、彼女はさまざまに声音を変え、所作を変えることによって一人でいく通りもの役柄を演じる。ドラマは、彼女の多様な発声と所作によって観客の脳裏に現前させられる複数の登場人物の相互作用によって成立していた。
 『Peace ( at any cost? )』の不協和音的なシュプレヒコールというクライマックスの場面から遡及して考えてみると、この劇における登場人物どうしの相互作用の不気味な不在こそが、舞台の外側の現実世界における、平和の実現が困難な21世紀世界の投影なのかもしれない。
 8月21―23日の京都公演の後、8月29―30日の香川公演、来年3月12―13日の青森公演、3月25―27日の埼玉公演が予定されている。いずれの公演でも本劇が、古代ギリシアの喜劇と同様に、観客に新たな思考を促す装置としての演劇的時空を提供し、好評を得ることを期待する。

西村賀子
西洋古典文学研究者/和歌山県立医科大学教授
おもな訳書・著書
(翻訳)アリストパネス『女の議会』(「ギリシア喜劇全集4」岩波書店)
(著書)『ギリシア神話―神々と英雄に出会う』(中公新書)
    『ホメロス『オデュッセイア』―〈戦争〉を後にした英雄の歌』
(論文)「古代ギリシアの演劇と現代日本」(『文学』2014年3, 4月号)
    「アルカイック期のギリシア詩人のいくさ歌」(『文学』2015年3, 4月号)

東京デスロック

『Peace (at any cost?)』

演出
多田淳之介


出演
夏目慎也
佐山和泉
佐藤 誠
伊東歌織
李そじん
鶴 巻紬
原田つむぎ
松﨑義邦


日程
2015年8月21日(金)~23日(日)


8月21日(金) 19:00
8月22日(土) 15:00
8月23日(日) 15:00



1945年から70年の2015年8月、紀元前425年にアリストパネスによって書かれた最古の平和物語といわれるギリシャ喜劇『アカルナイの人々』をモチーフに、現代における「平和」について考えます。戦争中に一軒だけ敵国と和平を結んだ家の中と外で起こる様々なこと、争うこと、争わないこと、果たして平和とは何にも代えがたいものなのか。新メンバー加入後の新生東京デスロックの初陣を京都から始めます。


4月
山下残『大行進、大行進』
アソシエイトアーティスト・ショーケースA

アソシエイトアーティスト・ショーケースB

5月
ドキドキぼーいず
田中遊/正直者の会
劇団しようよ

6月
キタモトマサヤ/遊劇体

7月

8月
西尾佳織/鳥公園
多田淳之介/東京デスロック
Hauptbahnhof

9月
木ノ下裕一/木下歌舞伎
はなもとゆか×マツキモエ

10月
したため
キタモトマサヤ/遊劇体

11月
桑折現
250Km圏内
努力クラブ

12月
あごうさとし
ブルーエゴナク

1月
田中遊
きたまり

2月
笑の内閣

3月
山口茜
笠井友仁
村川拓也
岩渕貞太