「箱」をめぐる身体/「家」をめぐる物語

 schatzkammerは、デザイナーの森本達郎とダンサーの夏目美和子によるユニットで、舞台美術や空間構成を森本が提案し、夏目が振付を行うというスタイルを基盤としている。今回、「schatzkammer project 『HOUSE 02』」では、「白い箱」という同じ舞台装置を用いて、双子の未亡人『ITTAN』とschatzkammer『スモールハウス』という対照的な2つのダンス作品が上演された(同じ舞台装置という共通項、また上演も2本立てで行われたため、ここでは1つのレビュー内でまとめて扱う)。
 「対照的」というのは、「白い箱」へのアプローチの仕方による。双子の未亡人『ITTAN』では、「この箱が家を表している」という意味づけはいったん括弧に入れられ、屋根は単なる白い板として取り外され、「上辺の開いた四角い直方体」という物理的存在に対してどのような身体的アプローチが可能か、が様々に試された。逆さまにした下半身の重心を壁にもたせかける、中から壁を押して箱をぐるぐると移動させる、壁を乗り越える…中でも、中盤、互いの身体をモノのように扱いながら、相手の身体と壁との空間の間に入り込もうとするシーンは、反転を繰り返す身体のスピードと壁をバタンと打つ音と相まって、緊張感に満ちスリリングだった。そうかと思うと、たゆたうように手足を動かし、ふわふわとした浮遊感や脱力感を感じさせる動きもある。もちろん、「双子」のユニット名が示すように、それぞれが動きの生成を観測しながら動く中、レゾナンスが生まれるように始まるユニゾンも魅力的である。
 終盤では、2人とも箱の中に入り、肩や手足など様々な身体部位を次々と内側の壁に接触させながら移動し続ける。彼女たちの運動と力の方向性が伝播することで、箱はあたかも自ら意志を持っているかのように縦横無尽に床の上を動き続けた。彼女たちの激しい動きは、(本来はドアや入口に見立てられた)切り取られた壁の一部から垣間見えるだけだ。人間が箱に物理的作用を加えて動かしているのか、箱の運動が中の人間を動かしているのか、見ているうちに混沌とし始める。やがて箱は静止するが、2人は箱の中でそのままムーブメントをし続けた。それは、運動が止まっても、箱から受けた力が彼女たちの身体に作用を及ぼし続けているような不思議な感覚を与えた。
 一方、schatzkammer『スモールハウス』では、「白い箱」はそこで物語が繰り広げられる「家」として機能する。この家には3人姉妹が暮らしている(母と娘2人かもしれないが、3人とも揃いの柄のワンピースを着ており、少女っぽく見える)。手紙を読んではメランコリックに沈みがちな長女(松本芽紅見)は、遠く離れた恋人を想っているようだ。そんな姉を気遣ったり、励ますように明るく飛び回ったり、時にいたずらをしかける妹たち(きたまり、益田さち)。具体的なセリフは全くないが、細部までコントロールされた繊細な動きの質感や表情だけで、登場人物の心情や性格を雄弁に物語る(3人の女性ダンサーの身体性による無言劇という点で、筒井潤の演出作品『女3人集まるとこういうことになる』(「We dance 京都2012」、「Dance Fanfare Kyoto vol.01」)を思い出した)。
 後半では、キャッチーなメロディに合わせて、ノリとキレのよいダンスも披露される。物語の起承転結も明快で、トランクを持って登場する=旅の途中にある男(アミジロウ)は、名残惜し気な様子を見せるものの、待っている女の元へは結局帰らず、女は悲しみとともに家に取り残される。また、男が開けるトランクには大量の手紙が詰め込まれており、一つ一つの手紙を開けて喜んだり驚いたり悲しんだりするシーンからは、3人姉妹は男と同じ時間軸にいるのではなく、男が過去の手紙を開けるたびによみがえる記憶や想像の中の住人なのかもしれない、とも思わせる。ストーリーや楽しさに加えて、そうした時空間の重なりまでも想像させる作品だった。

 このように、2つの作品を通して、「白い箱」は対照的な2つの顔を見せた。運動を積極的に誘発する装置として、または物語を枠づけ支える装置として。今回が第2弾の「schatzkammer project」が、同じ一つの舞台装置を媒介項として、今後、どのようなアーティストと創作を行っていくのかが楽しみである。