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法人化のご挨拶 2004/1

京都下鴨の民間小劇場「アトリエ劇研」を管理運営して参りました劇研スタッフルームと劇研制作室はこのたび法人格を取得し、特定非営利活動(NPO)法人劇研として新たな出発をいたしました。
 世間では絶え間ない戦争やテロリズム、環境破壊、そして痛ましい事件の数々が日々発生し、それらが、発達した情報網にのって刻々と私たちのもとに届きます。インターネット、携帯電話、デジタル放送など、意志や情報の伝達手段を私たちは次々と手にしていますが、互いの理解を阻害している心の壁を崩したり、痛ましい事件をひきおこす心の闇に光を当てることはなかなか難しいようです。違う環境にいる他者の気持ちをどのように理解し、その価値観や悲しみや怒りや喜びをどう共有していくのか。インターネットの向こう側にいる人や、顔の見えない隣人をどう捉え、どのような関係をとっていくのか。そしてそうした人を含め、他者と共存する手だてをいかに見つけていくのか。こういうことはデジタル化のように高速度、省労力とはいかないようです。それでも私たちは、豊かな想像力と共感力に裏付けされた思想の上に立って、関係性構築の努力をねばりづよく続けながら、人生の意味を考え、私たちが生きていくに足る世界や国家や町やご近所づきあいや友人関係を作り上げていく必要があります。
 現代のこのような状況をかえりみるとき、芸術文化の力はやはり重要だと考えられるのです。とりわけ舞台芸術がもつ人と人とのコミュニケーションを豊かにする力、豊饒な思想をはぐくむ力、人を楽しませ、励まし、勇気づける力などはこうした現代社会とってかけがえのないものではないでしょうか。
 NPO法人劇研は、小劇場アトリエ劇研の運営母体として活動しつつ、舞台芸術の振興・普及のための事業を幅広く展開していく所存ですが、それらの事業を通じて芸術文化の向上発展に寄与するとともに、心の豊かさや暖かい人間関係が顕在する社会の実現に貢献したいと願っております。
 ご支援のほど、よろしくお願い申しあげます。
2004年1月
NPO劇研 理事長  波多野茂彌

小劇場へいこう。 2002/6

世界の演劇をリードするイギリスの劇場街では、ロングランしている大劇場にいくのは観光客で、小劇場にいくのが、プロや地元の観客であるそうです。日本では演劇ファンの多くが大劇場にいきます。小劇場の観客は、多くが出演者の関係者で一般客はあまりいません。それはなぜでしょうか?たぶん、イギリスでは小劇場でも劇場が上演演目を決め、お客さんを集めているからであり、日本では劇団やダンスカンパニーが劇場を「借りて」上演し、自分たちでお客さんを集めているためでしょう。つまり日本では劇団やダンスカンパニーが無名のうちは一般のお客さんが入らないのです。イギリスの場合は劇場に信用がありファンがついているため、無名でもお客さんが足を運び、日本の場合は劇団やダンスカンパニーそのものにファンがつくので、評判をとるまではどうしても観客動員に苦労するのです。無名のうちは当然資金も無いので、上演コストの安い小劇場で上演することも多く、評判となり観客動員が増えると「大きい劇場」が「借りられる」のです。ですから日本では「大きい劇場で上演できること」に信用があるのです。「売れたい」と思っている劇団が、無理してでも有名劇場や大劇場で上演したがる傾向があるのはそのためでしょう。
 日本の小劇場でもよい作品は上演されています。もちろん全部ではありません。しかしあることは事実です。オリジナリティーや個性にあふれた作品もあります。ちょっと取っ付きづらかったり、分りにくいのですが、芸術的価値や将来性のある作品もあります。また、とっても魅力的な俳優やダンサーも出演していたりします。そんな作品が目の前で見れることは小劇場の魅力であり、とっても幸せなことです。
 アトリエ劇研はイギリス並みとはいきませんが、「お客さんを呼ぶ小劇場」として、そんな魅力的な人たちをどんどん紹介し応援していこうと思っています。
 小劇場では実験心、冒険心、野心に富んだ多様な作品が上演されていて、それを愛するファンがいて、彼らはそこで発表を続ける無名の創作者を応援し、中にはそこから育って有名になる人もいて、そういう人がときどき自分の原点として小劇場で公演をして、それに憧れる若者がやはり小劇場で実力をつけていく。そんなイメージに心踊ります。
 また、劇場は特定の演劇やダンスファンだけのものではなく、本来、地域の人々や一般市民のものであるべきだと思っています。日本では民間の小劇場は「うさんくさい」ものらしいのです。「どこの馬の骨ともしれぬ若者が集まってきて、叫んだり、大きな音を出すなどして迷惑千万」と地域では思われがちです。私はその汚名を少しでも拭っていきたいと思っています。「不信」を拭うのには時間がかかるでしょう。しかし、少しずつでも前進していきたいと考えています。
 ぜひ、小劇場へ足をお運びください。そして、おもしろかったらぜひ声高に「おもしろかった!」とおっしゃってください。「いまひとつ」でも、ぜひ次にご期待ください。「おもしろかった!」を増やすべく私たちは努力していきたいと思っています。
アトリエ劇研プロデューサー 杉山準

劇場雑感 2002/12

これまでどれくらいの数の劇場で公演してきただろう。
 初めて芝居に参加した同志社新町別館小ホールから、今年(*2002年)の夏初めて訪れた宮崎芸術劇場まで、場所もいろいろなら規模も多種多様です。よく「どこの劇場が好きですか」と尋ねられるのですが、はっきり言ってこれというNo.1はありません。もちろん、使いやすい小屋(*劇場)、そうでない小屋はあります。しかし結局、芝居の公演というものは劇場に入り、機材、大道具、小道具を搬入して組み立て、本番が終わればまたバラシてトラックに積み込む、これの繰り返しです。その作業は、どこの小屋に行っても同じことです。それがまあ、少し楽かそうでないかの違いです(バラシをしなくて帰れるホールがあればそれが間違いなくNo.1ですが)。
 なので「劇場に罪はない」というところでしょうか。演らしていただけるだけでありがたいことです(人間、歳をとると丸くなります)。
 むしろ私は劇場内部の良し悪しより、それに付随する施設や周りの環境で評価が変わったりします。たとえばロビー。音響という仕事柄、待ち時間が長い。そんな時、たいていロビーに出て休憩するのですが、その時横になれるソファがあるとか、また、眺めが良いとかその程度のくだらないものなのですが、タバコを吸わない私にとっては結構重要で、閉鎖空間であるホールから唯一リラックスできる空間でもあるのです(楽屋は嫌煙者にとってリラックスできる場所とは言い難いです)。
 そのせいか、ビルの地下にある劇場より、上層階にある劇場のほうが私はどちらかといえば好きです(やはり高いところが好きなのでしょう)。ロビーから見たその街の風景もよく覚えています。一番印象深い風景はやはり札幌にある道新ホールでしょう。そのホールから遠くは地平線、近くには札幌の都市の風景が見渡せます。近くのNHKに設置されているデジタル温度計が見え、旅愁を誘ってまた良いです(よく「現在の気温-5℃」とかTVに映るやつです)。
 また、図書館とかギャラリーのある複合施設のホールも好きですし、伊丹のAIホールのようなJAZZのBGM付きロビーも好きです。と、ここまで書くと、まるで全然仕事をしないでボケーッとしているように思われがちですが、それは違います。「待つ」のも仕事のうちです。
 これからも、まだまだ知らない劇場と出会うと思いますが、それを考えると私は楽しくて仕方ありません。その内部に足を踏み入れた者だけが体験できる、不思議でゴージャスな時間、ときにはものすごく暑かったり、ものすごく寒かったり(もちろん出し物も含めて)、すごくすごく楽しい空間が、劇場だと思います。
 ただ、劇場で人は死んでほしくないです。劇場が悲しそうだから。
堂岡俊弘
*の括弧書きはHP編集者による

演劇研究所? 2002/9

 「『劇研』って何を研究してるんですか?」と、たまに聞かれることがある。「以前の『無門館』って名前のほうが好きだった。」という意見も聞く。まあ、名前の好みはそれぞれだし、僕は「劇研」になってからスタッフルームに入ったので、どちらかというと「アトリエ劇研」という名前のほうに愛着がある。ただ、何の研究をしてるんですかと聞かれると、「別に研究はしてません、劇場です。」と答えてしまう。そう答えてはしまうのだけれども、やはりここは「劇場」ではなく「劇研」なのだなと思うことがある。例えば照明ワークショップ。今年で8回目になるが、劇場スタッフが講師になってその劇場でおこなうスタッフワークショップというのは、他所ではあまり見ないように思う。照明だけでなく、舞台や音響、制作の講座もやるようになった。これらは劇研スタッフルー
ムが「劇場管理」をする会社組織ではなく、それぞれに現場を持つフリーのスタッフ達が同人を募り、「劇研」という場に集まったグループだからではないかと思う。お互いに刺激しあったり協力しあって、それぞれが持つ仕事のクオリティをできるだけ高めようという意識があるから、ワークショップを定期的におこなうのではないだろうか。自分たちも人に教えるためにはできるだけ正しい知識を得ようと思うし、人に伝えようと思うと体系的に考えなくてはいけない。また、ワークショップをしていく中で、新たな発見もある。もちろん、自分たちのためだけでなく、今持っている知識を多くの人に知ってもらって、有効に使って欲しいという思いが一番にある。今はそれぞれ皆忙しいが、時間があればお互いの照明の作り方を劇研で試しあったりできたらいいなと思う。
 僕がまだ劇研スタッフルームに入る前、劇研で「役者の稽古の会」みたいなのをしていた。といっても劇研主催ではなく、京都の若いフリーの役者達が会場費の安い平日の昼間に何人か集まって、それぞれが知ってるメソッドをお互いに教えあって実践してみる、といったものだった。特にメンバーが固定されていたわけではなく、その日に来れる人が来る、といった緩やかなものだったと思う。僕もその会に数回参加したが、特に講師や演出家といった人がいない中で、いま自分が知っている最大限有効だと思う稽古方法を教えあい、それをなんとか自分のものにしようというその場の空気はとてもおもしろかった。まだ演技ワークショップの情報もあまり周りにはなく、なんとかして「自分を広げよう」と試行錯誤していた。
 最近の劇研は稽古場としての利用は減ってきている。無料で使える施設が増えたからだし、役者として受けられるワークショップの数も6、7年前に比べるとかなり増えた。これはとてもいいことだと思う。劇研でも「芝居工房」という役者のワークショップが始まった。その申し込み状況の画面を見ながら、やはり、この場所がただ単に持ってきた作品を上演するだけの場所ではなく、この場所を使って何かを生み出す場所であればいいなと思う。
アトリエ劇研 葛西健一

箇条書きづくし・アトリエ劇研の良いところ悪いところ 2002/11<良いところ>

 お金もうけより舞台芸術への貢献を大事にしている。/公演場所、稽古場、作業場などさまざまな用途で使用できる。/事務所に遊びにいくと、お茶やお菓子を出してくれることがある。/オープンスペースなので、舞台や客席を自由に設定できる。/戯曲集、演劇雑誌の蔵書が充実している。/値段がそこそこ安い。/コンビニ、弁当屋が近い。/夏、蚊取り線香を貸し出している。/場所がわからなくて電話すると道順を丁寧に教えてくれる。/機材がそこそこ充実している。/まわりが比較的静か。/小劇場としては天井が高い。(5)/スタッフがそこそこ若い。(平均年齢28,3才)/突然の雨の時、傘を貸してもらえる。/仕込に必要なガムテープ、釘などを少量ながら売っている。/プロデューサーがハンサム。/スタッフが現役の劇団主宰、劇作家、演出家、役者など多彩である。/機材のレンタルもしている。/スタッフを探していて相談すると、紹介してもらえる。/演劇、ダンスなどに関する情報があつまっている。/融通がきく。/スタッフが親切。/スタッフが舞台芸術に情熱を持っている。/庭の花水木の花がきれい。
<悪いところ>
 お金もうけより舞台芸術への貢献を大事にしている。/交通の便が悪い。/付近が一般住宅なので音に気をつかう。/建物の外観が地味。/客席を自分たちで組まなければならない。/観客用駐車場がない。/開場中、本番中は中2階オペ席からスタッフが降りてこられない。/場所が分かりにくい。/強い雨が降ると雨音がホール内に聞こえてしまう。/夏、虫が多い。/冬、寒い。/遠い。/トイレが2つしかない。/トイレが出演者、観客兼用だ。/トイレの水洗レバーが戻りにくい。/客席上手側と天井のエアコンを同時に使用するとブレーカーが落ちてしまう。/そうじ機を2台同時に使用するとブレーカーが落ちてしまう。/そうじ機がよくつまる。/プロデューサーが花粉症。/使わない機材や材料を置いておく場所が少ない。/近所においしい定食屋がない。/楽屋がせまい。(7.5×1.5)/機材にボロいものがある。/劇場自体が結構ボロい。/スタッフがおせっかいなことがある。/打ち上げをするのに手頃な店が近くにない。/庭の花水木の花がすぐ散ってしまう。
 こんな劇場です。皆様のご利用、ご来場をお待ちしております。
アトリエ劇研 西田聖

館主敬白 2003/4

 また春がめぐってきましたが、まさしく“光陰矢の如し”で現在アトリエ劇研のホールになっている小屋が建ってから、今年でちょうど20年になりました。
 私が下鴨の旧居の裏庭に、清水の舞台から跳び降りる思いでこの小屋を建てようと決心したのは、自分の所属劇団に新たな本拠が必要になったからでしたが、当劇団の状態と将来の可能性を具に検討した結果、木造2階建ての母屋に新築の小屋を加えた旧居全体を、劇団の枠を越えて自由な芸術空間として活用してはと思い立ち、賛同者数人の協力を得て、アートスペース無門館を設立したのでした。
 この無門館が、それから11年間におよぶ充実した活動に休止符を打って閉館したあと、残されたホールと各種の機材とを受け継ぎ、約1年の準備期間を経て新たに発足したアトリエ劇研も、もう7年目の活動に入ろうとしています。
 私は、いま、これまでの20年間にこのホールで行われてきた、じつに数多くの催しが、嵐や停電のために中止を余儀なくされたことはあっても、大きな障害や事故には一度も見舞われず、すべて無事に完了できたことを振り返り見て、心から嬉しく思います。そしてこのホールが、将来いつの日か、役目を終えて建て替えられる時が来るまで、しっかりと管理され、大切に使用されて、アーティストであれ観客であれ、一人でも多くの方々に、活力や歓喜を、さらには英知をもたらす場所であり続けることを、私はつよく願っております。
波多野茂弥

劇場のキョリ 2002/10


 劇場にまつわるキョリについて少し。
 ここアトリエ劇研にいると、観客と演じ手のキョリについてよく考えます。ここには舞台と客席との固定の境界はなく、演じ手の繊細な息遣いまでダイレクトに伝えることができると同時に、些細な・・アラでさえ見えてしまう、とてもシビアな空間です。この距離感は両者の間にすばらしい関係をつくり出します。ここにはいわゆる劇場空間でのお約束は存在せず、ただひたすら表現者と観客の関係性においてのみ空間が成立するような気がします。この至極あたりまえの空間成立を、しかも本当はどこへいっても変わらないであろうその大原則を、ここの空間はいつも思い出させてくれます。
 さて少し視点を引いてみると、こんどは劇場と観客とのキョリが見えてきます。近頃いくつかの劇場がクローズされるというニュースを耳にしました。それらの劇場に、このまえ行ったのはいつ頃だったろうかと考えてみると、ずいぶんとご無沙汰していたような気がします。京都から電車で四十分ほどの距離。行こうと思えばいつでもいけたハズです。この「いつでも行ける」というキョリはとても遠いらしく、「いつでも行ける」と思っている内に、その劇場は存続が危ぶまれ、気がついた時にはクローズのニュースが流れているのです。実際の距離以上に、劇場と観客との心理的距離は大きいのだなと実感させられます。と同時に、足しげく劇場通いをしていたころを思い出し、またいろいろな劇場に足を運んでみようと思います。
 今度は劇場と表現者とのキョリに目を向けると。劇場は表現を行なう場であると同時に、表現を創造する場でもあります。表現の手段がどういったものであろうと、劇場と表現者の関係は「表現者がいかに創造しやすい環境を提供するか」また「いかに創造を再現しやすい場を提供するか」、に左右されるような気がします。よい環境はよい関係を生み出し、そして劇場と表現者のキョリが縮まる。ここアトリエ劇研も、表現者にとってますます「身近」な存在となるよう、劇場として、そしてここにいる私自身も磨きをかけなければと思います。
アトリエ劇研 外村雄一郎

劇場の空気 2002/8


開演前に客席でぼんやりすわっている、あの時間が結構好きです。ちらしの束をぱらぱらと眺めて、それに飽きると何を観るでもなくとりとめなく視線を動かして、薄明かりの入っている舞台を観たり、他の観客の気配を感じたり、思いついて外に出てタバコを吸ってみたり、待つという苦痛を含みながらもこれからはじまることに漠然と期待を抱いているあの感じ、あの中途半端な時間。
 本番が始まってしまうと、面白かろうが退屈だろうが、否応無しに思考も感情も感覚も目の前で行われていることに奪われてしまう。いつもの自分の生活の時間から切り離されて興奮しようが退屈しようが特別の時間になる。開演前の時間はそのはざま。これはこれで劇場でしか味わえない貴重でないかも知れないけれど独特な時間。
 その劇場がもつ、独特な匂いとこれから始まる作品から漏れてくるものが混ざりあって、それはいつも新鮮に緊張感をはらんでいる。真新しい劇場に行くと客席に座っている自分も嬉しい眩しさを感じる。何度も足を運んだ劇場だと馴染んだ感覚と、舞台にある初めてみるものに対する期待とでそれが心地いいとまた嬉しく感じる。知った顔がいると嬉しいようなめんどくさいような気持ちで挨拶をしてリラックスして、逆にひとりだとちょっと緊張しながら隅に吊ってある照明機材を眺めたり客入れの音楽を聞いてみたり。
 劇場はいろんな時間を持っています。舞台美術を作っている時間、照明をつり込んでいる時間、音のチェックをしている時間、リハーサルをしている時間、俳優やダンサーが稽古をしたり体を暖めている時間、そして本番の時間。観客が足を踏み入れることのできるのは、開場から終演後までのわずかな時間です。そのわずかな時間に向かってその他のすべての時間が使われています。
 本番の時間を楽しむのはもちろん、是非今度は少し早めに劇場にきて、その作品の本番以外の時間と、劇場の時間の積み重ねそのものから漏れてくる匂いや感覚を味わってみて下さい。そしてまた終演後、また、ほんの少しの時間、本番で熱くなった感覚を冷ましながら、もう一度劇場を眺めてみてください。 劇場という空間に嬉しさを覚えてもらえれば、と思います。
アトリエ劇研スタッフルーム元代表 吉本有輝子

土田英生:十周年に寄せて

 京都に住んでいるにも関わらず「アトリエ劇研」はとにかく遠い。今でも行く時にはかなりの覚悟をして出かける。それは多くの観客にも共通する意識だろう。辿り着いたとしても「アトリエ劇研」は見つけにくい。住宅地の中に隠れるようにして存在している。更にはその立地のせいで夜には声も出せない。公演の度に「外に出たらお静かに」と観客にまで頼まなければならない。とにかく不便な劇場だ。
 「アートスペース無門館」と呼ばれ、そこへ行けば強烈な個性の持ち主、遠藤寿美子さんに会えた頃からそれは変わらない。ただ、昔は事務所部分が一軒家だったので、一晩中、皆と過ごせたことはメリットだった。多くの素晴らしい仲間に出会い、多くの嫌な人にも出会った。
 そして「アトリエ劇研」と名前を変えてからも十年が経ったらしい。「燕のいる駅」をここで上演したのもその頃だ。
 本来ならこのような不便な場所が劇場として機能し続けるのは難しい気がする。にも関わらず存続して来られたのは、関わって来た人の力だ。当たり前のことだが、劇場の性格は人がつくる。いくら駅前にあって施設が整っていようが、職員に四角四面なルールの番人しかいないような劇場は魅力を持たない。オーナーである波多野さんの意志はもちろんのこと、関わって来た人達が情熱を持っているからこそ、アートスペース無門館、アトリエ劇研と続いて来た。
 劇場について書くとなると。どうしても個人的な関わりやエピソードばかりが出て来てしまう。そこで観た舞台、そこで上演した舞台。そこで出会った人や様々な出来事。もちろん情緒だけで劇場を語ることは出来ないが、自分の心の中を覗けば「アトリエ劇研」に対して友人に抱くような感情が潜んでいることに気づく。時には腹立たしく、時には親しみや懐かしさを抱く。
 当然のようにそこにある劇場。しかしその存在は人と同じように儚い。普段は意識をしなくても失った時にはきっと大騒ぎする。そうならない為にも人が今後も情熱を傾けて行かねばならない。長生きして欲しいという願いとともに、「アトリエ劇研十周年」を嬉しく思う。
MONO代表/脚本家・演出家 土田英夫

吉本有輝子(前アトリエ劇研スタッフルーム代表):アトリエ劇研10周年によせて


どのような劇場にしていこうか、明確なイメージがあってアトリエ劇研をスタートした訳ではありませんでした。確かだったのは、当時のアートスペース無門館のスタッフとしての劇場への愛着と、交流の場としての自由な小劇場が京都にひとつでも多くあり続けた方がいいという思いだけでした。
 その思いのなかで、館長とその時々のアトリエ劇研のメンバーとともに試行錯誤を繰り返してきました。10年の間に、様々な人に意見を聞き、プロデューサーを迎え、演劇祭やワークショップを開催し、NPOへと団体のあり方も変化しました。それは、アトリエ劇研をスタートしたときには想像も出来なかったような変化であり、その変化は今も続いています。
 活動の形や内容は変わっても、試行錯誤を繰り返す姿勢や、自由な雰囲気は今も変わらないと感じます。アトリエ劇研に関わるメンバーや、利用者、観客とも、常に変化し続けていくなかで、その時々の色をもった劇場になっていく、その過程でアトリエ劇研に関わり愛着を持つ人が少しずつひろがっていく、そしてまた劇場の色が少しずつ変化していく、その柔らかな積み重ねがアトリエ劇研そのものだと思います。
 舞台芸術のあり方やそれを取り巻く環境の変化とともに、アトリエ劇研のこれからの活動も変化と発展を続けていきます。しかし、設立時の、自由で豊かな場所として京都にあり続けたいという、その精神は変わることなく活動を積み重ねたいと思っています。
 この10年にアトリエ劇研に関わってくださったすべての方々、観客として足を運んでくださったすべての方々に感謝します。今後も、アトリエ劇研の活動にご支援ご協力をよろしくお願いいたします。
前アトリエ劇研スタッフルーム代表 吉本有輝子

松田正隆


 一九九一年に、時空劇場という集団で初めて公演したのも、この場所だった。それゆえ二〇〇四年再びアトリエ劇研からマレビトの会として演劇活動を始めることができたのは、とても感慨深い。
 真剣にこの世界に向かって何かを表現しようと決心したとき、その起点になるのはいつもこの場所だった。外の世界の豊かさや暗部とつながっている場所としてまず最初に思い浮かぶのはこの場所以外にはないようにも思える。いずれにせよ、演劇は作り手に「場所」を要請する。私にはそれがアトリエ劇研だった。
そこがいかに小さな空間であろうと、舞台は荒野のようであって欲しい。何もない果てしのない荒野。どこからも社会的な価値を与えられず、ただぽつねんと荒野が存在するようにして劇場はあるべきだ。
そこでは、あのシジフォスのように石をあっちへやりこっちへやり運んでみたり、この世から忘れ去られた人たちが絶叫したり、死んだ者たちが頼まれもしないのに復活を遂げたりするのだ。
 フェリーニにチネチッタがあったように、私にはアトリエ劇研がある。
マレビトの会代表/脚本家・演出家 松田正隆

堂岡俊弘:「アトリエ劇研」10周年に寄せて(私的感傷編)


今年で10周年、ということは、劇研の旗揚げ(?)は1996年。
そのころ、私は、どこで、誰と、どんなお芝居をしていたのだろう。
今考えても、おかしなくらい何も具体的な事を思い出すことができません。
そこで、昔のチラシを見てみる事にしました。 →1996年、平成8年。
MONOで「約三十の嘘」をやってました。 映画にもなりました。
MOPで「青猫物語」をやってました。 ちょっとハズカシイ。
時空劇場もやってました。 内田さんは今でもご活躍!
そんな年だったんですね・・・・
「無門館」から、「アトリエ劇研」へ・・・・・・、
その流れは、そのまま自分を取り巻いていた演劇環境の変化でもあり、京都で80年 代を学生演劇バカですごしたものにとって、確実に来た一つの区切りでもあったような気がします。
芝居からはなれていく人、東京に行った人、京都に来た人、結婚する人、離婚した人、母になった人、父になる人、なくなった人、禁煙をはじめた人、太った人、髪が薄くなった人、行方不明の人、有名になった人、劇研に入ってくる人、新しい劇団を作る人、踊りだした人、歌ってる人、先生になった人、外国にいった人・・・etc
私は去年、劇研をはなれました。
旗揚げに立ち会った劇団員が、その劇団をやめるには、少しばかりのきっかけと勇気がいります。  (演劇人にとって、きっかけは、大切です)
あなたがそうであるように、劇団をやめたものは、いつでも自分がやめた劇団のことが、気になります。
私にとってそんな場所です、京都、下鴨にある「アトリエ劇研」は。

追記: そういえば、あの頃、遠藤さんは、まだ元気でうるさかったなぁ。