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ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』

作・演出:本間広大

文・羽室美佑



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ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』撮影:藤野菜緒


本作品を指し、作・演出の本間広大氏はある家族の「ひげき」を演劇にした、と語る。
その言葉の通り、逃避するひとびとの、寂しい「ひげき」であった。

ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』撮影:藤野菜緒

P6161923.JPG開演のアナウンスの後、無音で芝居ははじまった。無音のまま、「だれかがいない だれかがいた」「そらにはとりがとび、それがあたまのうえをとおりすぎる」「わたしたちはむせきにんなひとごろし」(曖昧だが、このような内容だった)と無機質な文字が映し出され、ある家族の父と娘(妹)の会話がはじまる。その会話から、この家族はかつて4人で、母(妻)と、息子(兄)2人が欠けていて、母が死に、その後に息子が自殺したこととがわかる。そして、その会話から時間軸がどんどん逆流していく。
母は劇中、登場しない。この家族を中心に、息子の仕事先で出会った彼女、従姉、知り合いの青年を交えながら芝居は展開し、劇中の時間が逆行していく内に母が要介護状態であったこと、そんな母から、父は母が死に四十九日が終わるまで子どもも置いて蒸発していたこと、息子が勤務している工場はミサイルの弾頭を製作する工場であることが判明し、母が死んだ日へと遡る。
結果として、この家族は家族の半分を亡くすというひげき的な結末を迎えるわけだが、このひげきは「逃避」に起因するのではないだろうか。

この家族は皆、様々なことから逃避している。父は要介護になった妻、家族を支えることから、娘は就職から、息子は、自らの生と母の死から。
中でも、息子の逃避は痛ましい。逃避できる先が、ないのだ。父は“家の外”へ、娘は“家の中”へ“逃げられる場所”があった。しかし、息子には“家の外”にも“家の中”にも見なければならないモノがあった。仕事、要介護の母そして父が蒸発し、家計を自分が支えなければならない重圧、その家計を支えるための仕事が、どこかのだれかの命を奪うという事・・。自分たちの生のためにだれかをころす。見つめなければならないものが、あまりに大きい。
そして母が死んだ日、容態が急変した母を妹と共に見殺しにした。その後、彼は“逃げられる場所”として死を選んだのだ。

逃避するひとびとの先にはなにもなかった。逃避する場所さえなかった。それは一体、誰が、何がそうさせたのだろう。
「だれかがいた」はずなのに、「だれかがいない」ラストのリビング空間は、ただ寂しさが残った。


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ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』撮影:藤野菜緒

(2016年8月22日掲載)

羽室美佑
劇団かまとと小町、神戸大自由劇場所属、金蘭会高校の演劇部OG。

アトリエ劇研創造サポートカンパニー|ドキドキぼーいず

『じゅんすいなカタチ』

作・演出:本間広大
出演:ヰトウホノカ/佐藤和駿/松岡咲子
  (以上ドキドキぼーいず)
   片岡春奈/勝二繁/諸江翔大朗


日程
2016年6月16日(木)~20日(月)
6月16日(木) 19:00
6月17日(金) 15:00/19:00
6月18日(土) 14:00/18:00
6月19日(日) 14:00/18:00
6月20日(月) 15:00

ある家族の、ある選択の積み重ね、それによって引き起こされた「悲劇」についてを演劇にします。
政治家の汚職や原発事故が起きて誰に責任があるのか、問題になりました。何が一体正しくて、何が間違っているのか、などと、正義と悪についての探求をしてもいつまでたってもきっと論議は終わりません。このどうしようもない現代社会で、誰が、誰にとって、何を正しいとするのか、ずっと考えています。

みんな違ってみんな良いとは、思います。だからこそ、相手を思いやって、どんな行動をするのか、そこにかかっています。正しさなんていうのは、きっと自分の中にしか存在しないんだと思います。しかも、言葉に出来ないくらい奥深くにあるんだと思います。

人には人を思いやる力がある、これは間違いありません。それでも混沌の世界になってしまうのは、善意がすれ違っているからなのでしょう。優しさとは、悲しさなのかもしれないなぁと、そんなことを感じてもらえるような作品になります。

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