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はなもとゆか×マツキモエ『WORMHOLE』

構成・演出 松木萌
振付 花本有加 松木萌

文・ 川崎歩






はなもとゆか×マツキモエ『WORMHOLE』撮影:山口 真由子



劇場の中に入った時から、その空間は広がっていた。
舞台の半分は、奥の出入口から観客の方に向かって鍵の字型に、空気圧で膨らんだ巨大なビニール製のオブジェが占めている。
隔離されているかの様に白いブラウスと赤いスカートを着た女性が、オブジェの中でひとり佇んでいるのが見えた。
青い照明で照らされている舞台上には他にも、影のような存在感の女性がもう一人いて、さりげなく身体を動かしている。

客電が落ちると、赤いスカートの女性だけが舞台に残り、跪き両手を組み合わせて、祈りの姿勢になる。
すると舞台上のもう一つの出入り口から、日本髪を装い、奇妙な化粧をした二人の女性が手をつないで出てくる。双子のような存在感の彼女らは、オブジェの前部にあるチャックを開け始めた。そして空気を抜きつつ畳んでいき、赤いスカートの女性をオブジェ内部の空間から解放する。

赤いスカートの女性は出てくると踵をあげて、降ろしてという動きの繰り返しとともに、昔のアイドルのような振付で踊り始めた。
その後は、再び現れた影のような存在感の女性と共に、舞台上を広く使って、音楽に合わせてユニゾンで踊ったり、マイクを持ち出してきて歌ったりするシーンが続いていく。

二人の踊りは例えばこんな風だった。
足をぐいっと伸ばして床を滑り、手を宙に伸ばす。上半身を反らす。腰を落とし、床を両手でたたき、震え、転がる。その場で走る。出入口から消えていく。そしてまた登場する。
双子達も唐突に出てきては、物理学の用語を呟きながら舞台上を横切っていったりする。
決して絡み合わない出演者同士の視線。
ずらされて反復される事で、意味を失った身体の動き。
肉体との対比で異物感を発揮するビニールの質感。
微妙に懐かしさを想起させる衣装や、音楽。
未来の子どもの名前を足の指につけていく場面。
結婚生活に関する希望をその場にいない彼氏に、独白したりする。(志村けんの妄想コントを思い出した)
だんだんと作品に通底する感覚が分かってきた。
過去の記憶や、未来に対する希望に過剰に囚われている状態の中で、現在のこの瞬間、同じ場所に存在する人々や空間、そして物体にアクセスする方法を探っているのではないか?
その探る感覚は私(観客)と出演者の間にも浸透する。
私は聴覚と視覚を集中して、舞台上の作品と共有するための手掛かりを探る。

はなもとゆか×マツキモエ『WORMHOLE』撮影:山口 真由子
突然起こるユニゾンの瞬間や、足が踏むリズムと音楽との関わりあいからは、今、現在という瞬間に向かう意志が強く感じられた。
例えば、二人で様々なハイタッチを高速で展開する踊りのときは、出演者も観客も、手と手が触れ合う瞬間に意識をぎゅーと集中して、その「瞬間」を共有していたと言えるだろう。
だが、舞台の出入り口からリセットされた身体を伴った出演者が何度も現れる、そのたびごとに今、舞台上で観客の意識と共に創られかけていた瞬間の共有意識がすーと消えていってしまうのが、私にとっては物足りなかった。

もちろん身体の瞬間同士を、演出や衣装・美術・音楽と共に「作品」全体として構成したときに現れるリズム、印象もある。だが、私には今回の作品は、ビニールのオブジェが立てるバリバリっといった硬い無機質な音と身体の質感の対比といった、対立要素が多いように感じられて、一つのまとまった「作品」として捉えることが難しかった。だから作品全体の印象を、(生理的に)共有・共感することはできなかった。

ところで、赤いスカートの女性は激しく動いたあとは、身体を静止させて呼吸を落ち着かせる姿勢になる。その呼吸がだんだんと聞こえなくなるまでの過程が、この作品で感じられる一つの有機的な持続する時間軸だと気がついた。

そして、からだの持続という点に注目してみてみれば、中盤に素晴らしいシーンがあった。赤いスカートの女性が舞台の真ん中で円形の明かりの中に仁王立ちになり、こめかみの横で、右の拳をきりきりとネジを巻くような仕草をした後、胸で抱えられるぐらいの大きさの、空気が入ったビニール製のボールを両手で抱えながら、様々なポーズを(おそらく即興で)連続してとっていくところだ。ポーズを変えるごとに、その体内にエネルギーがどんどん蓄積されていくのを感じた。(物体・身体の移動によって生まれる力のように思えたが、彫像のように静止した姿勢にも、静止にいたるまでの力の流れを感じ取れる事実に改めて気付かされた。)
エネルギーが十分に溜まったら、力の爆発を抑えるかのように、円を描きながら、早足の歩行をする。

やがて動きを止める。ゆっくりと後方に下がって、照明からすこし外れた場所にしばし佇む。あえて暗い場所を選択して佇む、エネルギーにみちた存在感は、なんて不穏で美しいのだろうか。もっとこの不穏な状態を続けてくれ!と心から思った。
そこからは瞬間を「持続する」ダンサーの意思が見て取れた。その意思を持った身体に共感を覚えてその瞬間を「持続したい」私自身の意思も存在した。そのことで舞台上の時間と空間を初めて共有・共感できた気持ちになった。

だが、残念なことに、突然そのエネルギーは床への脱力によって、空間に拡散されてしまう。しかもあろうことか、すぐに光るスニーカーを履いた双子らが小走りで入ってきて、浅い呼吸をしながら足踏みをして、拡散されたエネルギーをさらに霧散させてしまった。
ある意味、このように舞台上の集中や持続をわざと拡散させる試みは、演出意図として全編に渡り行われているように思えた。
しかしその中から、観客と何かを共有しようとする身体の「瞬発力」を強く浮き彫りにしようとする意図も、同時に感じられた。
今回の作品は、その「瞬発力」にすべてを賭けていたのではないだろうか?。
または瞬発力が伴う「瞬間」に。
そして舞台上と、観客の、「瞬間を持続する」意思がぶつかりあい絡み合った時、確かに今、現在、を共有することが可能であると、感じさせてくれる作品だった。

(2016年7月9日掲載)


はなもとゆか×マツキモエ『WORMHOLE』撮影:山口 真由子

川崎歩
いろいろする人。活動領域は、頻度が多い順に、現在は【SE>子育て>ダンス>ワークショップ講師>現代美術>演出>映像】。

アトリエ劇研創造サポートカンパニー|はなもとゆか×マツキモエ

『WORMHOLE』

構成・演出 松木萌
振付 花本有加 松木萌
出演 花本有加 松木萌
   伊藤彩里 山田春江


日程
2016 年6月3日(金) ~ 6月6日(月)
6月3日(金) 19:00
6月4日(土) 18:00
6月5日(日) 14:00/19:00
6月6日(月) 16:00


記憶はやがて質量を持ち重力を持つ。引き寄せられた全てを纏って、裸足で駆けて行く。