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田中遊『録音と生活』

作・演出|田中遊

文・ 吉永美和子




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田中遊『録音と生活』撮影:アトリエ劇研


録音した音声と、役者の肉体がセッションするような舞台をテーマの一つにしている「正直者の会」の田中遊。その世界の中で音響や照明は“共演者”のように扱われ、それゆえスタッフワークもシビアなものが求められる。劇場のスタッフ育成講座の卒業公演となる舞台を作るのには、ふさわしい人選だと言えるだろう。



DSC_3777.JPG舞台上には、7つのスピーカーとラジカセが整然と並び、そこに出演者の岡嶋秀昭と浜田夏峰の、自分の日常の記録を録音した音声が流れる。2人は自分たちが吹き込んだ「過去」をなぞったり、あるいは演劇での「過去・現在・未来」の扱いを問うようなメタ的な批評を加えていく。同じコンセプトで日々の生活を録音しても、岡嶋は子どもとの過ごし方を報告することが多いのに対し、浜田はその時々の自分の心象を語ることが中心となっているのが、お互いの生活感の違いが見えて面白い。そして稽古場以外では接点がないと思われた2人だが、岡嶋が子どもを預けている保育所のパートで、浜田が働いているという「事実」が浮かび上がる。


_DSC3966.JPG今考えるとこの「事実」は創作だったように思えるが、その時は反射的に生活の一コマとして違和感なく飲み込んでしまった。さらには浜田が「2030年の桜の風景」について語る下りがあるが、それすらも「あー、桜きれいなんだね…え?」という受けとめ方をしたほどだ。2人のありのままの生活を、周辺のノイズまで包み隠さず──それこそ「正直」に作品に反映してきた蓄積によって、現実と創作、あるいは過去と現在と未来の境目を曖昧にさせるという狙いは成功していたと思う。



休憩をはさんだ二幕目では、ランダムに並べ替えられた各スピーカーにピンスポットを次々に当てたり、役者の動きと音声がズレる様をパフォーマンス的に見せるなど、スタッフのテクニックをアピールする演出が目立ち(あえて休憩入りの二幕物にしたのも、幕間の場面転換の実践だろう)、内容の方も虚構と現実の境がくっきりする。ビジュアル的には楽しげだけど「日常の雑音の豊かさを感じさせる」という作品自体の狙いとは、違う方向に向かったように感じられたのに悔いが残った。とはいえ、受講生に様々なスタッフワークを経験させるのが、今回の公演の趣旨である以上は仕方ないことだろう。できれば田中には、外的要因にあまり左右されない環境の元で、この実験的な試みに再挑戦していただきたい。


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吉永美和子
大阪を拠点に活動するフリーライター&エディター。主な執筆媒体にWEBサイト「Lmaga.jp」「SPICE」など。朝日新聞関西版夕刊の劇評も担当している。

アトリエ劇研スプリングフェス
舞台技術スタッフのためのワークショップ公演

田中遊『録音と生活』

作・演出:田中遊〈正直者の会〉
出演:岡嶋秀昭 浜田夏峰

日程
2016年4月29日(金)-5月1日(日)
4月29日(金)19:30-
4月30日(土)15:00-
5月1日(日)11:00-/15:00-

アドバイザリースタッフ

舞台監督;浜村修司
     濱田真輝
舞台美術;佐野泰広〈CQ〉
照明;  吉本有輝子〈真昼〉
音響;  奥村朋代


スタッフ

舞台技術スタッフのためのワークショップ受講生

第1線で活動する舞台技術者の指導の下、若い技術者たちが、綿密に設計される田中遊氏の新作公演を立ち上げます。
「今を生きる」とか「この一瞬を大切に」等、とかく「今」というものは特権的待遇を受けがちだし演劇においてはより一層その傾向は強く「再現ができない→今ここにしかない表現」のようなことを耳にタコができるほど聞いてきた。でも。その「今」というのはどこにある?「ここだ!これが今だ!」と誰かが答えた瞬間に、既にその「今」はもう消滅している。歴史上これまで世界の誰一人として「今」を捕まえた者はいない。つまり「今」というのは幻想かもしれないのだ。

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