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鳥公園『緑子の部屋』


他者の視線にまつわる思考実験、多彩に展開

作・演出 西尾佳織 『緑子の部屋』

文・九鬼葉子






鳥公園『緑子の部屋』撮影 中才知弥(Studio Cheer)



 自分は人からどう見られているのか。そのことに全く無関心の人はいないだろう。
 鳥公園『緑子の部屋』(8月6日所見、西尾佳織作・演出)は、他者の視線と自分の存在意義とのかかわりをデリケートに捉えた、瑞々しい舞台だ。
 緑子という20代半ばの女性が亡くなった。兄の佐竹(鳥島明)が、緑子の大学時代の恋人・大熊(浅井浩介)と、高校時代の級友・井尾(武井翔子)を緑子の部屋に招き、彼女の思い出を語り合う。学生時代、女子達の話題には全く興味を示さず、校舎の裏で一人、様々な虫を飼育する、「浮いた存在」だった緑子。彼らの会話の中で、彼女の実体はどこかおぼろげだ。 
 大熊が緑子との同棲生活を回想する場面では、井尾役の俳優が緑子を演じ、井尾が高校時代を回想する場面では、佐竹と大熊役の俳優が女子高生を演じる。俳優が2役を兼ねているのかと思えば、そう単純な構造でもない。何故か大熊と井尾が同棲する場面も挿入され(二人は、緑子の部屋で出会った日が初対面のはずだが)、そこで大熊は井尾を「緑子」と呼ぶ。主体のすり替わる劇構造は、想像力を刺激する。



見る者の感性によって、様々な捉え方のできる芝居だが、私には「他者の中で変わっていく自分」への不安が描かれた作品と思えた。アイデンティティを探求した芝居は多いが、自分のアイデンティティへの不安は、自分次第で解決の糸口が見つかる。しかし、『緑子の部屋』で描かれたのは、他者の中での自分の存在感、質量が変わっていくことへの不安である。つまり、他者からの自分への興味や愛情が薄まり、やがて忘れ去られる焦燥。それは止めようがなく、闇は深い。
大熊も井尾も、何故自分達が兄に呼ばれたのかわからない。大熊が交際したのは、7、8年も前の短い期間であり、井尾は、高校時代、特に親しい間柄ではなかった。彼らの人生にとって、緑子は重大な存在ではなかったのかもしれない。しかし、緑子にとっては、そうではなかった。
 一人の人間がこの世から消えた。やがて人々の記憶からも消えていく。自らの存在の消失の過程を、緑子がどこかから見詰めているのかもしれない。

 緑子は日記の中で、井尾の視線が気になっていたと語っている。他者の視線についてのイメージは各所にみられた。例えば劇の冒頭、大熊役の浅井浩介は、演じていないかのようなラフな身体性で登場し、観客に話し掛ける。彼は画集を見せながら奥原しんこの「近くのキューバ」という作品について語り始める。描かれているのは、走り去ろうとする女性と、それを背後から見詰める女性の姿だ。だがよく見ると、背後の女性はこちら(絵の鑑賞者である自分)を見ているように見える。大熊の中でその女性と緑子が重なり、緑子の視線を感じて、劇が始まる趣向だ。


また井尾は、アウシュビッツの強制収容所の博物館の光景を語る。展示されていた大量の髪の毛、肌着、靴、歯ブラシ。最初は一人一人の命に思いを馳せていたが、5号館、6号館、7号館と見学するうちに、一筋の髪の毛が、茶色い繊維質の山に見えてくる。個人の命を捉える感覚がなくなり、視線は次第に麻痺していく。
 一見、短い場面が連なる観念的な舞台に見える。だが時折挿入される、肉体の傷みにまつわる台詞が、拡散するイメージを束ね、私達をリアルな身体感覚に引き戻す。例えば、佐竹が回想する、実家の食肉加工工場での事故の話。工場で働く兄の佐竹に、子供の頃の緑子がじゃれ付いたことが原因で、彼の指先が機械に挟まれた体験談。指はそのままひき肉に混ざってしまった。


劇中では、常に俳優の誰かがひき肉を練っており、餃子を鉄板で焼く場面では、劇場内を餃子の臭いが満たし、五感を刺激する。
舞台装置はシンプルだ。木製の机と3脚の椅子、ベッド。ビニールのパーティションを俳優が動かし、場面ごとに部屋の形に仕切り、またリアルに会話する人物と、異次元でひき肉を練っている俳優とを隔絶する。照明がほのかにビニールに反射し、空間造形が美しい。


 ライブカメラの映像を背景に映し出したのも効果的。映像は三重に連なり、合わせ鏡のように何人もの大熊と井尾が映し出される。メディアの中で増殖される自分。増えるほどに自分の実体がかすんでいく。
 俳優の演技も独特だ。脱力したような、超・自然体の動きと話し方。時折しぐさにエロスが漂うが、それも私達が日常でふと異性に感じる性的な気配というレベルで、あくまでさりげない。それだけにかえってリアルで、なまめかしい。1ヵ所だけ劇的に高揚する演技があった。先述の、井尾が大熊から「緑子」と呼ばれる場面だ。違和感に怯え、アイデンティティが崩壊する過程を、武井翔子が高ぶる感情を抑制しながら、集中度の高い演技で好演した。
 ラストシーンでは、武井が冒頭の浅井と同じく、画集を見せながら観客に語り掛ける。「道」という、やはり奥原しんこの作品だ。絵の中心に描かれている女性は、様々な雑誌のモデル達の顔を切り刻んで貼り付けた、パーツの寄せ集めでできている。
 いろんなパーツのつぎはぎの人間。そしてつぎはぎの環境。それは私達と、私たちを取り巻く環境を象徴する。
 人は私を見ているのだろうか。たとえ見ていたとしても、それは本当の私の姿なのだろうか。そもそも私の「本当」とは何なのか。視線にまつわる様々な思考実験を繰り広げた同作。希望は語られない。だが確実に、私達の曖昧に揺らぐ「今」を捉えており、その潔さが、爽やかな後味を残した。

九鬼葉子
演劇評論家/大阪芸大短期大学部准教授

鳥公園
鳥公園#11

『緑子の部屋』

作・演出
西尾佳織


出演
武井翔子(鳥公園)
浅井浩介(わっしょいハウス)
鳥島明(はえぎわ)


日程
2015年8月6日(木)~8月10日(月)


8月6日(木) 19:30
8月7日(金) 19:30
8月8日(土) 14:00/19:00
8月9日(日) 14:00
8月10日(月) 14:00



ある日、緑子がいなくなりました。

緑子の友人、恋人、兄が集ってそれぞれに、自分と緑子の話、自分から見て「お兄さんと緑子はこう見えてた」、「彼氏と緑子はこう見えてた」、「友達と緑子はこう見えてた」、「え、そんなこと言われたくないんだけど」、「や、でも緑子からはそう聞いてたし」、「ていうかお兄さんってサー」・・・・・・。

話すほど、遠のきます。
緑子の不在、ポッカーン。

4月
山下残『大行進、大行進』
アソシエイトアーティスト・ショーケースA

アソシエイトアーティスト・ショーケースB

5月
ドキドキぼーいず
田中遊/正直者の会
劇団しようよ

6月
キタモトマサヤ/遊劇体

7月

8月
西尾佳織/鳥公園
多田淳之介/東京デスロック
Hauptbahnhof

9月
木ノ下裕一/木下歌舞伎
はなもとゆか×マツキモエ

10月
したため
キタモトマサヤ/遊劇体

11月
桑折現
250Km圏内
努力クラブ

12月
あごうさとし
ブルーエゴナク

1月
田中遊
きたまり

2月
笑の内閣

3月
山口茜
笠井友仁
村川拓也
岩渕貞太